<<大相撲九州場所2日目>>大相撲九州場所2日目中入り後の全取組(11/14(月)福岡国際センター)の勝敗結果を予想してください

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匿名さんからの質問

<<大相撲九州場所2日目>>大相撲九州場所2日目中入り後の全取組(11/14(月)福岡国際センター)の勝敗結果を予想してください。 11/14(月)16時締切でそれ以降の編集・投稿は一切禁止とします。 一番勝敗数多く的中の方がもちろんBAになるのですが、同点になる場合がございます。 同点の場合の集計方法です。 1.結びの一番から見ての勝敗(以下結び→結び前→結び二つ前と続く) 2.1で同点の場合は投稿時間が早かった方。(ここで漏れた場合はリクエスト) 11/14(月)2日目の対戦取組です。 左は東、右は西になります。 ※休場力士が発生した場合その該当する取組に関しては無効扱いになります。 石浦―臥牙丸 豊響―千代大龍 英乃海―蒼国来 逸ノ城―千代鳳 旭秀鵬―大翔丸 北勝富士―荒鷲 妙義龍―千代翔馬 佐田の海―輝 勢―貴ノ岩 錦木―豪風 栃ノ心―宝富士 琴勇輝―松鳳山 千代の国―正代 嘉風―隠岐の海 豪栄道―高安 遠藤―照ノ富士 琴奨菊―御嶽海 玉鷲―稀勢の里 日馬富士―魁聖 白鵬―碧山 栃煌山―鶴竜 綱取りの豪栄道と大関昇進を狙う高安の対決! カド番の照ノ富士は痛い黒星。

石浦 千代大龍 英乃海 逸ノ城 大翔丸 北勝富士 妙義龍 輝 勢 豪風 宝富士 琴勇輝 正代 嘉風 豪栄道 遠藤 琴奨菊 稀勢の里 日馬富士 白鵬 鶴竜

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対決の知っておきたい情報

対決に関する基本的な情報まとめです。

とは?

「wikipedia」に記載されている「」の情報を元にした詳しい情報を見ることができます。

対決に関するQ&A

対決に関する他のよくある質問

対決の知りたいことや、みんなが疑問に思っている 対決に対する質問がたくさんあります。詳しい人からの回答もたくさん集まっているので 対決への疑問が解消されます

みんなが知りたい質問

元ヤクルトの黒田真二投手を知ってますか? 1982年 荒木に続きヤクルトにかつての甲子園のアイドル投手が誕生ー。
早実の荒木を攻め落としたヤクルトは十七日午後一時、塚本スカウト部長が東京・銀座のリッカー本社を訪れ、ドラフト外で黒田真二投手(24)=1㍍80、80㌔、右投右打、崇徳出=と入団交渉を行った。
黒田の入社以来の親代わりとして漆崎雄一常務取締役(元野球部長)も同席し、契約金二千五百万円、年棒三百六十万円の条件で了解点に達し仮契約した。
正式契約、入団発表は二十一日ヤクルト本社で行われる。
黒田は崇徳時代、五十一年春のセンバツ大会で優勝。
すさまじい人気を得て甲子園のスターにのしあがった。
同年日本ハムからドラフト一位で指名されたがプロ入りを拒否して日本鋼管福山に入社。
しかし心臓病などのため五十三年に退社し、五十四年から再スタートを切った。
リッカーでは三年間通算35勝をマーク、速球に加えスライダー、シュート、チェンジアップ気味のナックルと球種も豊富な右の本格派投手。
この間補強選手も含めて都市対抗に四度出場、昨年はリッカーで一昨年は東芝府中でベスト8入りを果たしている。
崇徳時代の同期生山崎、小川は広島に在籍しておりその対決がみものだ。
五十四年八月に結婚した万里子夫人(24)との間に絵美ちゃん(二つ)、美希ちゃん(一つ)の二女があり、子連れルーキーとしてプロの世界に飛び込む。

みんなが知りたい質問

元広島の大石弥太郎投手を知ってますか? 1971年 王と長島の二人が、計八度打席についた。
この八打席で、生まれた安打は九回のどたん場に長島の放った本塁打一本である。
広島・大石は、巨人の得点源である。
ONを、その右腕で押えた。
いうまでもなく、広島第一の勝因である。
巨人を倒す一例として、よくON分断作戦ということがいわれる。
強烈な破壊力を持つ王と長島を同じ回に打席へ迎えなければ、たとえどちらかに打たれても、失点は少なくてすむという算段なのだ。
しかし大石は、四度もタバになってかかる彼らと対した。
が、怪腕は、冒険を冒険と感じさせなかった。
一回、走者一塁で、大石は王と対決する。
内角ボール。
次は外角シュートでストライク。
三球目は内角速球。
つまった王は一ゴロ。
そして長島。
ストライクをとったあと、二球目は内角へのシュート。
のけぞるような形で打って、大石への凡ゴロ。
「緊張のためか、調子がよくなかった」という大石だが、二打席目は一ゴロと左飛。
三打席目は三ゴロ、三ゴロと巨砲に火を吹かせなかった。
低目に決るカーブ、シュートは、スピードこそなかったが、生きていた。
なぜだろうー精神面、体調にさからわない冷静さがあったからである。
巨人の先発渡辺は打ちのめされて五回で退いた。
「調子が悪いから、押えなければとあせり、知らぬ間に力んでいた。
これが打たれる原因だった」と、渡辺は敗戦の弁を語る。
勝利投手の言葉は違う。
「強気で押すとみせかけ、変化球でかわした。
それに、からだの筋肉が硬直気味だったので、無理をせず、常にていねいに投げることだけを心がけていた」という。
「ていねいに投げていたし、いい出来だった。
仕方がない」(王)「スピードはなかったが、ともかくていねいに投げていたね。
こっちが気負ったのが失敗」(長島)ONともカブトをぬいだ形だが王は、何とか打とうとして六回の打席に着くとき、鏡の前で素振りをするほどだった。
それでも、外角のシュートに腰を引かされ、三ゴロ。
長島も九回以外は完全にフォームをくずされていた。
いささかあがり気味だったという大石だが無理をしないで、内面を整えたのが成功したわけだ。
ONに勝ったわけではなく、大石は自分に勝ったのである。

みんなが知りたい質問

3月31日(金)第89回センバツ高校野球選手権大会12日目決勝戦の結果を得点付で予想してみてください。
3月31日12時30分を締め切りとさせていただきます。
基本的に勝敗結果優先ですが、並んだ場合は以下を対象にします。
1.得失点差の近似 2.総得点の近似 3.1、2でなお同点の場合は投稿が早かった方。
(ここまでもつれた場合はリクエスト質問対応) 対戦カードは以下のようになっています。
履正社(大阪)vs大阪桐蔭(大阪) 3年前2014年準優勝以来の決勝進出で悲願の初優勝を狙う履正社と藤浪晋太郎(現阪神)を擁して春夏制覇した2012年以来の決勝進出の大阪桐蔭。
なんと45年ぶり(日大三vs日大桜丘以来)5回目の同一都道府県対決に! なお、仮に中止や試合開始遅延が発生した場合は決勝戦プレーボール時刻まで予想を受け付けます。
(明日は兵庫県南部の降水確率午後は50%と微妙な天気) また、引き分け再試合が発生した場合は、再試合のスコアを集計対象にいたします。
春の大会の予想はこれで最後になります。
再試合2試合の影響も受けましたが12日間本当にありがとうございました。
また夏の大会(8月7日(月)開幕予定)でも予想を行う予定ですのでよろしくお願いします。

みんなが知りたい質問

元大洋の島田源太郎投手を知ってますか? 1968年 「プロ野球選手の手本」と、大洋の別当監督が手放しにほめる男がいる。
島田源太郎、28歳。
三十五件に完全試合を演じ、その年は19勝、大洋の初勝利に大きく貢献した投手だ。
その後、肩の故障がたたって二軍落ち。
プロ入り十年目の昨年暮れの契約更改期には「首になりかかった」(球団関係者の話)が、今シーズン前半を終わったときには、土つかずの9連勝。
よみがえった右腕、愛称源さんの苦労のあとを振り返ってみるとー。
「あのころは速球とカーブだけ。
力で押しまくる投球で面白いように勝てた」-源さんは三十五年の絶頂期をこう語る。
宮城県の気仙沼高からテストを受けて大洋に入団してから三年目のことである。
「大洋の成績は島田の出来次第」とマスコミにはやされ「球団からは、こわいものにさわるように大切に扱われた」という時代であった。
それがどうだろう。
翌三十六年は9勝、三十七年は6勝、三十八年は4勝と、成績は急カーブで落ちていった。
「プロを甘くみてコンディションの調整に失敗した。
開幕からつまづき、すっかり焦って自分のペースを取戻せなかったからだ」という。
悪いことは重なるものだ。
当時の三原監督(現近鉄)から「変化球を覚えないと勝てないぞ」といわれ、ナックル、フォークボール、シュート・・・と球種を増やすことに没頭したのがいけなかった。
野球選手、とくに投手の生命でもある肩を痛めた。
三十八年の春のキャンプでは腕もあげられないほど悪化した。
それでもなんとかシーズンを乗り切ったところへ別所ヘッドコーチ(現サンケイ監督)が就任。
「秋から冬にかけての練習で調子の悪いものは、来年の公式戦では使わない」という方針が打出された。
源さんは無理を承知で寒い中で投球練習にはげんだから、肩はますます悪くなるばかり。
翌三十九年は僅かに1勝。
四十年から二軍に落ちた。
完全試合までやりとげた栄光の投手が二軍に落とされる気持。
源さんは「まさに奈落の底に落とされたみたいだった。
その気持は口ではとてもいい表せない」といった。
まわりの人たちから「さっさと足を洗って商売がえしたら・・・」といわれ、一時は真剣に考えたのもこのときだ。
源さんは、「肩は回復するか、どうか」の診察を受けるため、病院めぐりした。
「大丈夫」と数件目の医師が太鼓判を押してくれた。
「よし、もう一度大観衆の前で王、長島と対決してみせるぞ」-それから二年間、泥と汗にまみれる努力がつづく。
朝早く病院に行く。
その足で多摩川にある二軍の練習場へ。
思い切り投げ、打つ若い選手を横目に、黙々と走りまくった。
多摩川べりには楽しく遊ぶ若い人の姿がいやでも目につく。
一人住まいのアパートへ帰ると、ナイター実況放送の花やいだアナウンサーの声とファンの歓声が耳にはいる。
若い頭の中を屈辱感と焦燥感がごちゃまぜになってかけ巡った。
「こうまでしてプロ野球にへばりついてるのはみっともないことではないか」と思ったこともあった。
そんな源さんを勇気づけたのは当時「大投手の稲尾さん(西鉄)金田さん(巨人)でさえ二軍で苦しんでいる」ことだった。
源さんは自分にいいきかせた。
「オレは肩が痛くて野球ができないだけではないか。
世の中にはもっと苦しんでいる人もいる。
たかが野球であっても、努力することが人生の成功なんだ。
自暴自棄になってはいけない」と。
同僚の松原内野手は「サウナぶろに入った時でも、熱心に体操をやり、投球フォームの研究をする島田さんを見て、ああいう人こそカムバックしてほしいと思った」と、その努力を讃える。
数か月後、肩は直った。
「俺はもう投げられる」と思わず叫んだ。
が、三原監督は使ってくれなかった。
はやり気持ちを押えながらの、さらに一年間は二軍生活は一段とまた苦しかった。
妻弓子さん(27)との結婚は「投げられるのに投げられないつらさ」を味わっていた昨年の一月。
ことしの三月には長男の大(まさる)ちゃんが生まれた。
源さんには心の支えができ「野球一筋に生きる決意はさらに固まった」という。
それがカムバックの自信につながった。
もしここで諦めていたら、完全試合を樹立しながら寂しく球界から消えていった宮地(国鉄)森滝(国鉄)西村(西鉄)と同じ運命をたどったに違いない。
待ちに待ったチャンスがきた。
五月一日。
「納屋からホコリだらけで出てきた男」(別当監督)源さんは見事にサンケイを1点に押え、いきなり完投勝ちを収めた。
「逆境を乗り切り、何ものにも動じなくなった」という信念。
八年前より球速は落ちたが、別当監督も秋山コーチも「綿密なコントロールと打者の心理を読んでのうまいかけひき」に感嘆し、人間島田の成長と同時に、ピッチングの「変革」をたたえている。
「二年間の二軍生活は、今になってつくづく貴重だったと思う。
どんな社会に飛び込んでもやれる自信がついた」という源さん。
その表情はとても明るい。

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藤波辰巳ファンだった私にとってビルロビンソン、テッドデビアスと並んで実現して欲しかった試合がランディサベージとリッキースティンボートとの試合でした。
両選手と天龍源一郎は好勝負を展 開。
その対比としても見たいという思いはありました。
96年4.29新日本当時ドーム大会に当時 提携関係にあったサベージが来日しました 。
しかし、天山か誰かとやってあっさり敗退。
藤波は天龍と3年振り3度目最後の対決で尾骨を折るアクシデントもあって負けました。
正直あまり良い試合ではなかった 。
この時に天龍対天山と藤波対サベージと チョイス変えて対戦したらなあと思いました。
90年9.30横浜アリーナ猪木30周年メモリアル大会。
藤波は腰痛から1年5ヶ月振りのカムバックで越中詩朗と対戦。
待望の新日本初来日となったリッキースティンボートは これも新日本マット凱旋帰国のグレートムタと対戦。
私はこの日生観戦しましたが正直ムタ対リッキーは残念な試合内容だった 。
リッキーの良さが出ずにムタに良い所を持って行かれていました。
思えば鶴田、藤波、デビアス、スレーター と共にニューウエーブの一角だったリッキーにはこの日怪我上がりで厳しかったとはいえ藤波と対戦して欲しかったです。
リッキーは前年の1月にも2代目タイガーマスク(三沢)とNWA王者として防衛戦を行った実績もあって当時WCW四天王だったムタとの試合をチョイスしたと思うのですが。
96年4月に藤波対サベージ 90年9月に藤波対リッキー が行われていたとしたらどんな試合内容になったと思いますか?私は拮抗した良い試合になったと思います。
ムタ対リッキーよりもムタ対越中の方が見せ場作れたかなあと。
ムタ対リッキーで良かったのはムタの天井からの登場シーンだけだった( ^∀^) 越中の受けとやられっぷりがムタを引き立てたと思うのです。
思えば90年の藤波は2.10東京ドーム大会のズビスコとのAWA戦欠場と言い巡り合わせの悪い年でした。
もし良ければ回答よろしくお願いします!!

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MVPボクサー有力候補「井上尚弥」、次なる強敵は 日本ボクシングコミッションが1月24日、年間表彰の選考会を行った。
例年その場で発表していたが、今回は主要な賞は2月10日の表彰式で明かされる。
注目の最優秀選手(MVP)の本命は“神の左”ことWBC世界バンタム級王者の山中慎介(34)だが、ここでは対抗馬にご注目あれ。
WBO世界スーパーフライ級王者の井上尚弥(23)だ。
「年間2試合の選手が多い中、井上だけが3試合戦い、しかも内容も圧倒的で、MVPの名に恥じない」 とボクシングに詳しいライターが語る。
「彼に足りない点を挙げるとしたら、知名度。
12月30日にフジテレビ系が中継した世界戦も、日本人対決にもかかわらず、視聴率は1桁止まり。
というのも、この試合に限らず、尚弥の試合は彼があまりに強すぎて、ゲームとしてちっとも面白くないのが原因です」 “強すぎて人気が出ない”とは皮肉なことだが、 「今年の井上は異次元に進化しそうです。
わかりやすく言うと、テニスの錦織圭、ゴルフの松山英樹のような、年間数十億円を稼ぐ、世界の誰もが知るアスリートに大化けするかもしれない」 そこで少しお勉強。
ご存知のように、ボクシングの世界王者は、団体ごと階級ごとに数多いるが、本場・アメリカには団体や階級を超越した“パウンドフォーパウンド”という真の最強を判定するランキングがある。
例えば15年に“330億円マッチ”を行ったメイウェザーとパッキャオもその1位になって世界的スターにのし上がった。
現在の1位は、ニカラグアのローマン・ゴンサレス(29)。
実は、井上と同じ階級のWBC王者だ。
4階級制覇で無敗という触れ込みだが、それを言うなら井上も2階級制覇で無敗である。
「このゴンサレスと尚弥が、年内に統一戦を行う可能性があるのです」 アメリカの有力メディア「ESPN」もこの二人を“今年楽しみな対戦”の一つとして挙げている。
「しかも、尚弥なら勝つ可能性が十分ある。
そうなれば、世界のボクシングシーンは彼中心に動く、と言っても過言ではありません」 以後、お見知りおきを。
ロマゴンの先日のクアドラス戦を見てたら、絶対的王者ではない事が見えた。
かなりパンチを貰っていたし、井上のパンチ力で有れば倒せる可能性もある どう思う!?

みんなが知りたい質問

90年代の全日本プロレスの金看板は日本武道館大会における三冠戦でした。
鶴田対天龍、三沢対川田、三沢対小橋。
そんな外れのない定番の三冠戦の中にも谷間的な三冠戦があったと思います。
90 年3月6日のジャンボ鶴田対バリーウインダムと98年2月28日の三沢光春対ジョニーエースがそれだったと思います。
鶴田対ウインダムはその後4月13日東京ドーム日米レスリングサミットがあり、 三沢対エースの後には5月1日に全日本プロレス初の東京ドーム大会が控えていました。
相手も一巡した隙間に組まれたご褒美的な対戦カードだったと思います。
質問は鶴田対ウインダムと三沢対エース 皆さんはどちらの試合が良かったですか? またダークホース的なウインダムとエースが全盛期に全日本マットでシングル対決していたらどちらが勝っていたと思いますか ?6ね年生まれ、父にブラックジャックマリガン、叔父にディックマードック、従兄弟にマイクロトンド。
体格に恵まれてセンスもあった。
ムタを破って第81代世界ヘビー級王者になりフレアー、アンダーソン 、ブランチャードのフォーフォースメンで WWE殿堂入りと実績は申し分ありません。
83年全日本の世界最強タッグに23歳で初参戦と若くして頭角を表したウインダム。
一方のジョニーエースは兄にロードウォリアーズのアニマルウォリアーという所はウインダムと同じサラブレッドですがアメリアマットの実績ではウインダムには遠く及ばず。
レスラーとしてよりも引退した後のフロントとして名を上げました。
三冠戦も全日本参戦10年目の36歳で初挑戦と遅咲きの苦労人でしたが。
馬場さんも良く頑張ったねというエースへのご褒美的な三冠挑戦抜擢だったと思います。
97年の最強タッグで両者は対戦していますが、ウォリアーは怪我などでピークを過ぎていて参考にはならない。
二人の全盛期が 5年くらいズレている(ウインダム93年、 エース98年)がネックですが。
もし良ければ回答よろしくお願いします。
追記。
私が全日本ブランチャード大会で見た唯一の三冠戦が全日本武道館大会最後( 108回目)の橋本対川田でした。
チャンピオンに最前列真ん中が残っていて1万五千円で購入。
今思うと全日本最後の輝きだったのかなあ… 鶴田対ウインダム、三沢対エース、橋本対川田。
どれも隙間的な味わいがあります。